高層ビルが立ち並ぶ大阪北浜…そんな中に歴史を感じさせる建物があります。

「ここなんだろ?」と、塀沿いに歩いて入口へ。「あ、公開してるって~行ってみよう」と中へ。

靴を脱いで、玄関へ上がります。受付は襖の奥で「いらっしゃいませ~」と係の方。

拝観料400円を納めます。「お荷物は、ロッカーに入れてください」と。「え?ロッカー??」そこには木製の戸棚…「なんかお風呂屋さんみたい~」

荷物を入れて木札でロックします。なんかすごく歴史ある建物みたい…「誰のお家?」受付兼ショップには、ずらりと書籍が並んでいます。

はい、ここは史跡・重要文化財「適塾」です。

「適塾」は、幕末に西洋の医学書などを翻訳・研究した緒方洪庵が開いた学塾で、江戸から明治に移行する時代に活躍する人物を多数育てた場所です。ここを管理するのは、大阪大学。

文化7年(1810)に備中足守(現在の岡山)に生まれ、大阪藩邸留守居役の父に伴い大阪へ。22歳の時、江戸で蘭学を学び、その後、長崎で、さらに蘭学および西洋の医術や思想なども学びます。天保9年(1845)に大阪で現在の場所に蘭学塾を開きます。それがこの「適塾」です。この場所は、29歳で17歳の八重さんと結婚し、義父からの援助などで購入したとか。以来、いっそう蘭学や医術を深めてゆきます。
「ここお家でもあったんだって~」広い座敷や中庭など、なかなか趣ある屋敷です。

緒方洪庵は、体が弱く武術に向かないと、医術など学問を志たとか…。人を育てることも得意で、橋本佐内、大村益次郎、福沢諭吉など、幕末から明治にかけて日本に大きな影響をもたらした人物が、彼の門下生です。歴史に名を留める人物だけなく、門下生は全国から集まり、日本の近代化にそれぞれが役割を果たしたそう。

「適塾」を開いて後、天然痘予防のために種痘事業も開始、コレラなどの流行時にも尽力し、医者としても高く評価されています。
「広い建物には、たくさんの人がいたんだよね~」。そこで活躍したのが、奥さんの八重さんです。展示には、穏やかな表情の八重さんの肖像画が飾られています。
資料を読んだミモロ…「え~でも、八重さんってすごいよ~」と。「だって、子供を13人も生んだんだって…緒方洪庵は、文久3年(1863)突然の喀血で54歳で江戸で急死したんでしょ。結婚期間は、約25年で、子供13人って…緒方洪庵って、体弱かったんじゃないの??」と、ネコも驚く状況です。
小柄な雰囲気のお姿の八重さん…今ではとても考えられない子供の数です。4人は早世したものの9人は、立派に成長。もちろんお手伝いさんはいたでしょうが、妊娠期間も多い中、塾生などの世話もしていたのです。「すごすぎる!」もちろん夫である緒方洪庵の偉業は、歴史を動かしたことでしょうが、それをさまざまな面で支えた奥様の存在も大きいのです。

建物の中を順路に沿って進むミモロ。木造2階建て、延床面積417㎡という広さ。
緒方洪庵亡き後、後継者により熟成の教育の継続および大阪大学医学部の前身となる医学校の設立などをさまざまな経緯をへて、現在の大阪大学が管理しています。

1階の土間や台所を抜けて、では2階へ上がりましょう。「え~この階段上るの???」

段差も幅も異なる階段…よく気を付けてね~「うん…」くれぐれも足元に注意して…。
*「適塾」に関する詳しい情報はホームページからどうぞ~

























































